変化盲

心理学

ヘイカモン実験ではバスケットボールを持った実験者が 空港に及び止めて道を尋ねる
通行人が道を教えている間に、実験者と通行人の間を集団が通り過ぎるその時集団の一人が実験者からこっそりとバスケットボール受け取って持ちさってしまう
通行人が道をし終わった後に、意外なことや何かの変化に気付いたかどうかを尋ねる
スルト通行人の多くはバスケットボールが亡くなったことに気づいていなかったので

同様の実験では参加者のビデオを見せた。そのビデオでははっきり写っている登場人物の服や物体がカットが変わったタイミングで別のものに置き換わっていた。これは単に人がこれらの変化に気づきそこになってしまうという話に留まらない。

面白いことに一連の研究を通じて意識の領域では変化に気づかなくても、無意識の領域では変化の前と後の情報の表象が存在することを確認したというデータもある

あるレベルでは変化に気付いたのに何らかのプロセスで選別された為に意識的な気づきには上っていないことを示している

このデータによれば人はゆっくり怒るへんから認識が苦手で見落としてしまいがちなようである。

最初に大きな段差を落ちるよりも、少し足を滑らせる位の方が最終的に大きな逸脱まで陥りやすい。
私たちの行動が非倫理的な領域に向かってゆっくりと歩みだした場合は突然に倫理のたかが外れた場合に比べて自分がどこに向かっているのかに気付きにくいし、自己正当化もしやすいのである

この状況は茹でガエルと同じ。
カエルは、ちょうどいい温度の水に入れてから、すこしづつ温度をあげていくと、
熱くなりすぎたと感じる前に茹で上がってしまう。
倫理的意思決定の研究によって、人は一度に大きく倫理を踏み外すよりも、いくつかの小さな階段を経て逸脱していくほうが倫理の逸脱を受け入れてしまいやすいことが確認されている

ここからの気付き

例えば犯罪にあたるかなと思います万引きとかそういったあまり物理的に被害を被らないような軽犯罪に関しては少しずつそういった犯罪から手を込めて行ってより大きな金額のものを万引きしたりとか鉄道したいとかそういった毎度になりかねないあと

後は例えば幼少期に小動物を殺した人とかとかそう言った人たちは奴に本来は小動物を殺していくのかを逸脱していることにはなるけれどもそれを受けそれが当たり前のようになってしまっているがために少しずつ大きなものそして対象物が人間なる可能性も大いに考えられる
こういう話は極端な例だけれども、基本的にだれにでもこの傾向はある。

上司から、理不尽な仕事をお願いされてあんまり意味がないものだとおもって、数年同じことをやって、部下にその仕事を引き継いだことも、基本的にはそれにあたる。
変化盲は、目に見えるものだけでなく
自分が感じた気持ちにも同じことが言えるため、すこしずつ認知的不協和で頑張っていたとしても、どこから認知的不協和が通用しないタイミングが来ることがそれを証明してくれている。

変化盲はビジネスでは使いづらいかと思うが、
やばい副業とか、怪しい情報サイトに手を出すとかは、基本的にこの変化盲を匠につかったビジネスといえる。
すこしづつ倫理を逸脱させて、それが当たり前のように思わせた後、また倫理を逸脱させていく。
マルチ商法ってすごいわって思いますね笑

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